PUNCTUM TIMES No. 14

鈴木理策・鷹野隆大・松江泰治・倉石信乃・清水穣 写真分離派宣言

RISAKU SUZUKI, RYUDAI TAKANO, TAIJI MATSUE, SHINO KURAISHI, MINORU SHIMIZU  PHOTO-SECESSION TOKYO

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第14号は、写真家・鷹野隆大さんらの『写真分離派宣言』を特集し、展覧会にあわせて刊行いたします。
スティーグリッツやスタイケンの「写真分離派」結成(1902年=明治35年)から、約100年。
今度は日本からの写真分離派宣言です。
こういう動きをされる方は日本ではなかなかおられないので、「応援しよう!」という気持ちで、今回PUNCTUM TIMESを発行させて頂くことにしました。
参加している方々は皆、1963年生まれ(今回のADの白石さんも同じ歳)。かねがね、1960年代前半生まれには写真の才能が集まっていると思っていましたが、この5名の写真家と評論家のラインナップを見て、さらに確信しました。
写真の歴史の中で、大きな過渡期である現在、今回の宣言は写真界の現状へ一石を投じることになるかと思っております。

 

Artist Statement

誕生からおよそ170年、写真が大きな節目を迎えている。近い将来、新聞も雑誌もポスターも紙に印刷する時代は終わり、紙のように薄いモニター画面に表示する日が来るはずだ。扱われる画像は大半が動画となり、写真はマスメディアでの行き場を失うだろう。生き延びるとしたら美術の分野しかないはずだが、そのとき主流になるのは加工や合成を駆使した“絵画的写真”となってしまうような気がしてならない。
そう考えるひとつの理由は、写真を単なる素材として扱う傾向が加速していることである。写真と実体との関係がどんどん希薄になっているのである。背景にはデジタル技術の一般化によって多くの人が「所詮写真は真実を写さない」と考えるようになったことがある。
もちろん写真は“真実”を写したりはしない。写すべき“あるがままの現実”があると思っているわけでもない。写真が醸す“リアルさ”がイリュージョンに過ぎないことも十分承知だ。しかしだからと言って、誕生以来続いて来た“ストレート写真”が無意味になったとは思わない。それらは今でも実体の陰画として存在感を放っている。そこに漂う“生々しさ”こそ、170年の歴史の中で写真が紡いで来た独自の世界ではなかろうか。
1963年生まれに写真家が多いのは偶然とは思えない。それは70年代という写真の黄金時代に幼少期を過ごし、フィルムで撮影することを当然のこととして身体化した最後の世代だからだ。“写真”が崩壊しつつある今、我々は改めてその可能性を提起したい。(文責/鷹野隆大)

 

This Issue is a special edition for the exhibition “Photo-Secession Tokyo” at NADiff.
“Photo-Secession Tokyo” is the manifest by the Japanese significant photographers, Risaku Suzuki, Ryudai Takano, Taiji Matue and two important critics, Shino Kuraishi and Minoru Shimizu. All of them are born in 1963.
It’s one hundred years since Stieglitz and Steichen’s “Photo-Secession.” This time “Photo-Secession” has declared from Tokyo!

Date of Issue: December 11, 2010
Format: Tabloid (408×273mm)
Pages: 16